教育と平等 大衆教育社会はいかに生成したか 苅谷剛彦 (2009) 中公新書

教育と平等―大衆教育社会はいかに生成したか (中公新書)
つまり、本来であれば、他の先進国と同じように、合理的・科学的に生徒一人当たりの単価費用を計算し、それに応じて生徒数を乗じて、教育費の計算と配分が行われなければならないと考えられていた。ところが、それが許されない厳しい財政事情のもとで、現状追認的に、今ある学校数、学級の数を考慮に入れて、「三本立て」で教育費を算定しなければならなかったというのである。(第三章 設計図はいかに描かれたか p-128)
要は、この国は一昔前までひどく貧しくて、教育を満足に受けられない人がたくさんいたということ。戦後の制度は、そうした状況のもとで彼らに等しく教育を受ける機会を提供することに大きな成功を収めた、ということ。しかしそれが完成し、「日本の初等教育は世界一である」と評価されたのと時を同じくして、そうした原点が顧みられることなく、制度の迷走と崩壊が始まった、ということ。新書というよりは学術書的な内容で斜め読みした部分もあるが、いったい何が問題なのかということは歴史を踏まえないと正しく見えてこない、という着眼は極めて真っ当であるように思われる。著者がどこかで書いていたとおり、こうしたことが分かっている専門家が国の教育方針を左右する場にきちんと参加できていないことが、この問題の傷を深くしているのだろう。とうとう東大を辞めてオックスフォードに行かれたようだ。(2009年10月29日読了)