「吟醸酒の光と影」 篠田次郎 (2001) 技法堂出版

吟醸酒の光と影―世に出るまでの秘められたはなし (はなしシリーズ)
清酒は江戸時代に灘という産地を形成した。明治後期に伏見も産地になった。だが、その生産量は昭和二〇年までは双方あわせて十数%に過ぎなかった。「灘の下り酒」「灘の生一本」「灘の男酒、伏見の女酒」など、これらの産地の酒を称えるキャッチフレーズが巷に流布されていたにもかかわらずである。それが、昭和三〇〜四〇年代に一挙に三〇%台に駆け上がるのである。何があったのか。(第5章 消えていた「吟醸」という言葉 p-174)
結局、国と業界のもたれ合いの構造に阻まれて良い酒がなかなか市場に出ず、日本酒離れが進んでしまったという見立て。志を持った蔵と酒屋と飲み手こそが、吟醸酒という「百年に一度の新しい酒」を育てる、と主張されている。「育てられる」ような酒は文化の一部であるとするならば、その盛衰は人々の民度に依存する。酒やタバコを叩いておけば社会がよくなると考える国が、日本酒を、吟醸酒を擁するに値するかどうか、が問われる。(2012年3月12日読了)