「人生は冗談の連続である。」 島地勝彦 (2011) 講談社

人生は冗談の連続である。
最近の週刊誌が面白くないのは、不寛容すぎるからだよ。むっつりと不機嫌で何でも道徳的に断罪するモテない男のような匂いが誌面から漂ってくる。そんなものを読んでいてもまるで愉しくないだろ。不寛容な人というのは、正直者である自分が損をしているという思いがあるんだね。自分は正しい、少なくとも間違ったことはしていない。なのにうまく行かないことばかりだ。そんな鬱屈が人を不寛容にする。逆に、人に言えない秘密や小さな不道徳を自分の中に抱えている人は、他人の過ちを自分に置き換えて、「私も似たようなものだな」と考えられる。人を許せる心が生まれるわけだよ。(小さな悪を内にもつ方が、他人に優しくなれる p-061)
歳を取ると、大切なのは「正しい」判断が出来るかどうかなのだということが分かってくる。それは「正解を知っている」というようなことではなく、古典についての知識とか、人生の機微についての理解とか、沢山の人との交わりとか、そういった「経験」をバックに、正解のない問題にそれでも正しい答えを導ける、というようなこと。一人でじっと待っていても正しい判断ができるようにはならなくて、正しい判断が「降りて」くるような人間になる努力を、意識的にしなくてはいけないのだと思う。まぁ、あっち関係の話が多いわけだけれど、その中に人生の真実が覗く。私淑してます。(2011年6月23日読了)