「大学破綻−合併、身売り、倒産の内幕」 諸星 裕 (2010) 角川oneテーマ21

大学破綻 合併、身売り、倒産の内幕 (角川oneテーマ21)
当該の山形大の立松潔教授は、新聞の取材に対して、「学生はやり方を知らないだけ。教えればできる」のだと答えています。学生に足りないところがあり、社会に出すためには必要だと思われる教育は、いつ始めてもかまわないものです。それは「学力不足」とか、「大学生が馬鹿になった」とかいうこととは別の話であり、私立大学の教員のみならず、まだ少数ですが国立大学の教員も、そのことに気づき始めています。そこに、私は大学の教育力の再生の可能性を見るのです。(第2章 教育力は再生するか p-105)
 自分の認識と極めて近いことに安堵。特にこの前段の、大学生に国語力が絶対的に不足しており、それがすべての学習の足を引っ張っているという指摘は、我が意を得たりという感じ。ここ数年それに対して手を打ってきたわけで、なかなかいいではないか(w。ここで「初等〜中等教育は何をやっとるのか(怒」という方向に行かずに、「それならこうしないといけないですね」という提案だけを淡々と出してくるところが著者の議論の真骨頂だろう。大学があくまで社会の要請に応え、それに仕えるものであるとするならば、イヤだろうと何だろうと「いまここにある危機」に対処するという発想がなくてはならない。そうした発想の転換、柔軟性がなければ、まぁ、旧帝大以外ではやっていけませんねということだろう。しかし、そうした「尻ぬぐい」ばかりでキャリアを終えるのはどうかとも思うわけで、さらに柔軟に、人生の一時期大学でそうした仕事をしたら、次はまた別のことをする、というのもアリかもしれない。そこまで「使える」プロフェッショナルにならないといけない。(2010年12月30日読了)