「不安な経済/漂流する個人 新しい資本主義の労働・消費文化」リチャード・セネット 森田典正訳 (2008) 大月書店

不安な経済/漂流する個人―新しい資本主義の労働・消費文化
私の主張の要点は人々の怠惰にあるのではなく、人々に職人的思考を難しくする政治的風潮を経済がつくりだしたということにある。「柔軟な」労働を中心にして築かれた組織において、何かに深くかかわることは、労働者をうち向きなものに、あるいは、視野の狭いものにすると恐れられる。くりかえしていえば、ある特別な問題に必要以上の興味を覗かせる者は、能力判定を通過しない。いまや、科学技術自体が関与を求めないのだ。(第3章 消費政治)
「組織のフラット化」「短期的価値の追求」といった「グローバリゼーション」に伴う一部の先端的な企業のあり方が広く「社会の趨勢」とされ、「プロテスタンティズム」と衝突し、コミットメントが軽視され、政治でさえも商品のように消費されるようになった、ということだろう。「関与を求めない」の意味するところがどこにあるか分からないが、科学もまた、そうした「短期的価値の追求」に染まっている部分はあるだろう。科学者も同じ社会に生きているのだから、当然それに影響される。問題はこの次にコミットメントの復権、職人的価値の復活が「来る」のかどうかである。キャリアを考える上で、そこに掛け金を置くべきか、置かざるべきか…。論の展開も易しく面白く読めるはずだが、これ、翻訳はこれでいいんだろうか。あまり日本語がよくない部分があると思う。日頃学生の日本語の出来なさ加減を見ていると、日本の翻訳文化ももう先が長くないのではないかとふと思う。(2010年6月16日読了)