「これが『教養』だ」 清水真木 (2010) 新潮新書

これが「教養」だ (新潮新書)
しかし、ピースミールに問題を解決する決議論的な能力としての教養、つまり、本来の意味での教養の方は、現代の社会で生き残るでございましょう。生き残るばかりではなく、問題解決の能力を手に入れるために努力する者にとり、私どもの社会―それは確かに鬱陶しく不気味な社会ではございますが―これは、能力を鍛えるためのまたとない練習場ですらあるのではないか、私はこのように考えます。(第4章 教養を生まれたままの姿で掘り出そう p-217)
語り口が面白いし、教養とは役に立たないものなのか、古典とは本来なんだったのか、という分析は目からウロコ。肝心の教養とは何かという話はさらっと終わってしまうのだけれど、結局は、問題解決のための「知恵」といった感じだろうか。そこから導かれるのは、「教養の上に実際的な知識を身につける」という「パンキョー+専門」式の知識獲得の枠組みは決して本来的なものではなく、「実際的な知識を通じて教養を身につける」ことだってアリだし、十分に可能だということではないか。(2010年5月26日読了)