反=日本語論 蓮實重彦 (2009 初版は1977) 筑摩書房

反=日本語論 (ちくま学芸文庫)
科学技術だの物質文明だのは、「二個の者がsameplaceヲoccupyスル訳には行かぬ」という命題から派生する皮相的な現象にすぎない。おそらく、開化日本の悲劇は、この根源的なるものの発見に無感覚で、それを一つの抽象としてしか理解出来ず、ひたすら二義的で派生的なるものの発見に固執し続けたことになるだろう。(倫敦塔訪問 p-191)
忙しくてなかなか本が読めない中、久々に読み飛ばせないものを手に取る。言葉を巡って、西欧語の背後にある排除と選別の思想とか、音声に対する文字の従属とかいった問題を、様々な挿話と共に、時に筋道立てて、時に脈絡なく論じる。やたら一文が長いのは、フランス語の文章はこんな感じだからなんだろうか。言語そのものについてはともかく、日本には田舎がないとか、「国際人」の電話での挨拶がおかしいとか、広大な墓地を前に「鍛えられる」かの国の人々とか、ヨーロッパに対して同じように感じたところがあって面白い。「現代思想」が雲散霧消し、世界の勢力地図も大きく書きかわろうとするいま、「西欧的なもの」の本質は何か、ということを一生懸命考えるこうした言説には、一種懐かしさを感じてしまう。それだけが人間の本質を考えることではなかったのかもしれない。しかし、いまだ我々はそれすらもよく分かっていないのかもしれない。(2010年5月2日読了)