「中央公論 2月号 特集 大学の敗北」(2010) 中央公論社


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こうした事例から示唆されるのは、大学はそもそも単独で、新しい知識の形成や流通、継承を可能にする最も基盤的なレベルたり得ないという事実である。大学よりももっと基盤となる層には、メディアとしての人という意味も含めた多種多様なメディアによるコミュニケーション=交通の積層がある。大学はそのようにして積層する知識形成の実践を集中化させ、再編成し、より安定的に継承可能なものとしていくある種のメタ・メディアである。(爆発の時代に大学の再定義は可能か 吉見俊哉 p-77)
同僚の先生に借りたもの。結構読み応えがあって、中央公論て(読んだことなかったけど)結構いい雑誌なんだと認識。養老孟司氏の文章も読ませるが、この論文はさらに大学の将来を見通そうとする。現代は60年代末にも似た、大学のあり方が問われる時代だと指摘し、その数百年の歴史から大学の本質とは何かを考察。大学はアプリオリに成立するものではなく、社会の中のある特定の機能を担う、必ずしも大学という形をとらなくても良いもの、というところをうまく掬い上げているのではないか。それはまさに、ここで模索しようとしている方向でもある。やれ「仕分け」だ「ナショプロ」だあるいは「学力低下」だといった、「これまで」を前提とした話を越えた次元の議論は貴重。(2010年3月25日読了)