「日本の科学行政を問う 官僚と総合科学技術会議」荒田洋治 (2010) 薬事日報社

日本の科学行政を問う
黙々とひたすら修業を積んでいる人がいる。学ぶとは、辛抱に辛抱を重ね、アリのように努力することである。食いついたら離れない粘着力である。プロになる道は、肌で学んだことの固まりのような人になるための終わることのない道だと、私は信じている。能率が悪くてもよい、格好が悪くてもよい。ただひたすら修業を積み重ねる地道な努力以外には、日本が世界から尊敬される道は残っていない。学術の真の発展は、ファッションとは無縁の、努力の延長線上にしかない。(第三章 わが道を行く p-211)
「世界から尊敬される」かどうかは別にして、きわめてベタだが学問とは確かにこういうものである(あってもらいたい)と思う。金をやる/やらないの話ばかりになってしまった感があるけれど、「少数の極めて優れた者による、誰にでもその意義が分かる話」だけが学問ではないはずである。自然の摂理に向き合った経験のある者にとっては、すべてについて「あらかじめその意義が分かる」ほど自分たちが賢くないことは自明だし、目から鼻へ抜けるような人と、石のように考え込んでしまう人とでは、そもそもその目に見える風景が違う。ひょっとしたら全くの見当違いなのかもしれない自らの理論に人生を賭けようとする人間の営みはやはり尊いし、彼に「それって儲かるんですか?」とばかり尋ねることは失礼だろう。彼はそう生きざるを得ないのだ。放っておいてやってもらいたい。(2010年3月26日読了)