「高峰譲吉の生涯 アドレナリン発見の真実」 飯沼和正 菅野富夫 (2000) 朝日選書

高峰譲吉の生涯―アドレナリン発見の真実 (朝日選書)
「西洋ですでに十分に発達した工業を日本に導入しようというのであれば、その道で現にやっているベテラン技術者をヨーロッパから連れてくるのが最適だ。先人の跡を追うことをくだらない、などというつもりはないが、自分としては日本固有の産業や技術を掘り起こしてみたい。その分野に最新の化学の知識を応用してみたい」(万博出張、キャロラインと婚約 p-56)
なんでアドレナリンをエピネフリンといった変な名前で呼ぶのか、という疑問が氷解。化学者というよりは、「(応用)化学の学位を持った実業家」というところだろう。部下の業績を横取りしたとか、会社を私物化したとかいった批判もあるのだろうが、時代の制約もあると思う。なんせ生まれは江戸時代である。彼にしても鈴木梅太郎にしても、どうも本国での扱いが地味なのは、その後日本がこの分野で世界の学問の本流になり得なかった、ということではないかと思う。あるいは少なくとも、一般にはそう思われていないからだろう。(2010年2月27日読了)