公共性 齋藤純一(2000)岩波書店

公共性 (思考のフロンティア)
アーレントはレッシングの次の言葉でその講演を結んでいる。「各人をして彼が真理と見なすものを語らしめよ、そして真理そのものは神に委ねよ」。共通世界をめぐる言説の空間としての公共性からは、絶対的な真理は排されている。この空間は「人びとの言説の尽くしがたい豊かさ」が享受される場所であり、単数の真理が人びとの上に君臨する空間ではない。公共性は真理ではなく意見の空間なのである。(II 公共性の再定義 p-49)
いわゆる「文系」な人たちの議論を聞いていてどうも腑に落ちないのは、彼らにとっては「(一見)その場において理屈が通っていること」、「相手を論破できること」が重要で、その主張がより一般的な立場から見て真に妥当かどうか、ということにはあまり関心がないように見えることだった。この文章を読んでようやく、あの人たちにとっては「真理かどうか」ではなく、そのコミュニティの中で「主張を交わした」ということがその正当性を担保するんだな、と、目から鱗が落ちた次第。まぁ、ここで言われていることとは少し違うかも知れないが。「哲学学者」ではない「哲学者」として、本当に何かを考えようとしている、という印象を受けた本。しかし、英語で書かないと哲学の進歩には貢献しないだろう。こういう本は英訳して出版されるのだろうか。
(2009年7月読了)