アダム・スミス 「道徳感情論」と「国富論」の世界 堂目卓生 2008 中公新書

アダム・スミス―『道徳感情論』と『国富論』の世界 (中公新書)
めざす理想が、いくら崇高なものであっても、そこに至るまでの道が、あまりにも大きな苦難をともなうものであれば、人びとは、統治者の計画についていくことができないであろう。体系の人は、このことをわかろうとしない。体系の人は、理想を正しく理解さえすれば、全ての人は、理想の達成に対して、自分と同じ情熱と忍耐をもつはずであると信じて疑わない。しかし、人間はチェス盤の上の駒とは違う。指し手の理想や行動原理とは異なった、独自の理想や行動原理を持つ。人びとは、統治者と同じ理想をもつとは限らないし、もったとしても、そのために自分が犠牲になることを受け入れるとはかぎらない。どのような社会改革の計画も、人びとがついていくことができなければ、失敗に終わるだけでなく、社会を現状よりも悪くするであろう。(第八章 今なすべきこと p-244)

いくつか賞を取って話題になったらしい経済学の入門書。地味で実直な内容なのだが、紹介されるアダム・スミスの深い洞察には唸らされる。彼が「新自由主義の元祖」などでは全くなく、極めて深い人間理解に基づいた、現実主義的な思想家であったことが察せられる。「すゎ大恐慌か?」といった浮き足だった議論とは一線を画す、このような本が広く読まれたことは、きわめて喜ばしいことだと思う。
こうした本を読むと、「人類の智恵」とでもいうべきものはすでに過去の偉大な思想家がちゃんと考えていて、我々に必要なのはそれを正しく理解し、時代を超えて現代にあてはめ、実現に向けて努力していくことなのではないか、という感を深くする(そしてそれは他の学問にもあてはまるかも知れない)。十分に過去を学ばず、踏まえずに、新しい思想こそがより優れたものであると考えるのは、次々と発売される新製品こそがより良いものだという、大量消費社会の悪しきアナロジーでしかないのかも知れない。アダム・スミスが言うように心の平静を保ちながら、静かにものごとの本質とは何かを見据えることを心がけたい。
(2009年5月6日読了)