落下傘学長奮闘記 大学法人化の現場から 黒木登志夫(2009)中公新書ラクレ

落下傘学長奮闘記―大学法人化の現場から (中公新書ラクレ)
誰が、教養教育を行うのか。考え出されたのは、「全学出動方式」であった。全学の教員が、みんなで教養教育を行おうという考えである。私は、岐阜大に着任して直ぐに、この制度は、「全学が出動したくない方式」であることに気が付いた。
(教育に軸足を置くー大学の原点ー p-186)
教養部をなくすだけなくしておいて、誰も責任を持って教養教育を考えようとしていなかった、と指摘している。それだけ「教養」の重要性を理解するだけの教養をもった大人がいなかった、ということだろう。
ついこの前までは生命科学の第一線で研究していた人が学長になって、それでもりっぱに勤め上げてしまうというところに、この手の人の図抜けた優秀さを見る。ただ、
この本は、私の基礎医学者としてのキャリアとは直接関係のない内容となったが、データを大事にし、データを元に発言するという科学者としてのトレーニングは生かされたのではなかろうか。(はじめに p-5)
とあるとおり、現実を正しく把握して何が問題かを見抜く研究者の眼、新しいアイデアを生み出し、それを物怖じせずに主張してみる科学者の生き方が、(彼ほど優秀でなくとも)サイエンス以外の場においても極めて貴重かつ有用であることは間違いない。この点はもっと社会的に認知されるべきだし、科学者本人も意識的にそれを鍛え、活用していくべきだと思う。本人も周りも、そこがツボなんだということを分かっていなさすぎる。逆にいえば、この社会の変わらなさ、閉塞は、科学者的な発想と行動が足りないことに由来するのではないか、と思いつく。
(2009年4月11日読了)