集中講義!日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか 仲正昌樹(2006)NHKブックス

集中講義! 日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか (NHKブックス)
マルクス主義的な「知」も含めて、近代知には、「客体」を分析し理解すべく、「客体」と向き合う自らの基本姿勢を疑おうとしない妙な”生真面目さ”がある。そのため、ややもすると、自己自身の基本姿勢を批判的に見るメタ・レベルの視点を欠き、自分の方法とは異なるものにいちおう興味をもって、いろいろトライしてみる「遊び」の余地がなくなりがちである。こうした近代知の硬直的な生真面目さは、象牙の塔の中での学問やマルクス主義的な実践などに限ったことではなく、学校教育や職業生活にまで浸透している。近代的な「主体」は、自らが設定した「客体」との関係に縛られていて、意外と"不自由"なのである。だから、基本的な前提が対立する者同士が遭遇すると、正面切っての二項対立にならざるを得ない。(第五講 日本版「現代思想」の誕生)
たいへんに面白い。ちょうど90年代をそっくり大学で過ごし、学部生の頃は現代思想(今から思えば現代と近代の区別もついていなかった)の世界をすこしでも理解しようとあがいたものだったが、そのときの時代背景がどういうものであったのかを明解に教えてくれる。要するに現代思想なるものはその頃にはもう下火になっていたのであって、自分が最新流行だと畏れを持って見ていたものは、その残滓に過ぎなかったということである。可哀想に(w。日本の状況だけでなく、当然それが踏まえている諸外国の現代思想についても概観されていて勉強になる。学生時代に自分を悩ませた(日本の)現代思想の大半は結局徒花でしかなく、それを措いて進むことを躊躇する必要はないことを確認する。(2009年9月読了)